さなよくあさまさのブログ

なにやら雑に色々書いてます。

1週間と5日と数時間

前回の更新から長い、長い時間が過ぎた。

 

私はブログというものを開こうともしなかった。実際問題、うまく書けなくなってしまったのである。スマホのメモが書き散らしばかりになってしまって、連想メモやら写真やらを見ても旅行についてどう書けば良いのか分からずにいたのだ。これをなんと言うのか、スランプというべきかもしれない。

ブログを読んでくれている友人らからも早く書け、楽しみにしていると言われさらに悩ましく思っていたのだが、あまりにも更新しない私に「旅行以外のことでもいいからなんでも書いてみろ」と助言してくれた方がいるので、今日は適当に書いてみる。

適しているところに当てて書いてみる。

元来、このブログは日記の延長、目的のない思考の漏洩、雑然と記した文章であるから。

 

突然であるが私にはひとつ短所がある。他にもあるけれど最もひどいのは脚色癖、というか何か出来事を語るとき大袈裟に脚色してしまうのである。例えば私が一度でもスマホをどこかに忘れてしまえば「永遠にスマホを忘れる男」を自称する。他にも、自身の怠惰によって財布に10円玉が何枚もある状態のことを「小銭だけで1万くらいありそう」と表現する。

また、旅行中のときにもあった。確か4日目の朝だったか。朝食は事前にコンビニで買ったシチューパイを食べようと思い立ち、電子レンジがある場所へ行った。そこは私たちの泊まっているホテルのコインランドリーと自販機と電子レンジが置いてある小部屋で、ワンフロアに一部屋ある。つまり、そこの電子レンジを利用しようとすると早い者勝ちで、もし使用中なら使い終わるのを待たなくてはならない。

私がシチューパイを持って行くと、電子レンジは使用中。人はいなかった。その電子レンジは温め時間がデジタル表記されるものではなく、メモリを回すアナログなタイプで、メモリはかなり回っていたのでシチューパイ片手に待つのも嫌で部屋に戻り「電子レンジは10分くらいおでんを温めている猛者がいて使えなかった」と同室の友人に言った。

2、3分後、他に部屋に泊まっている友人が弁当を持って私たちの部屋に来た。電子レンジで温めていたらしい。少し反省した。

私は自身のこの悪癖を「古代ギリシャ的感性」と呼んでいる。なんでもそれっぽく言い換えると気分が良くなるのでそう言っている。古代ギリシャ人は、あるいは中世でもギリシャ人はなんでも大袈裟に脚色する人々であったらしい。歴史の父へロドトスはスパルタ王レオニダスが有名な、テルモピュライの戦いで投入されたペルシア兵は200万以上とした。現代では多く見積もって10万ほどだったと言われている。

また、中世では東ローマ帝国が滅亡したコンスタンティノープルの戦いではギリシャ人の記録ではオスマン帝国の兵は「100万を超え、地を覆うほど」と書かれているが、他のジェノヴァ商人などは8万ほどだったと記録されている。

こういう大袈裟な感性は事実を伝えるには問題だが小説やフィクションを書く分には楽しい。

哲学と文学がギリシャで生まれたのはそういう感性があったからだと考えることもできる。詭弁だけれど。「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」という言葉があるが、歴史を書く人たちが大袈裟に書き連ねていたら賢者だって間違ったことを学んでしまうだろう。結局、真の賢者は何処にもいないので経験から学んだ方が良いということなのかもしれない。

 

今日からまた更新していきます。時間潰しによろしくお願いします。

宇佐見りん『推し、燃ゆ』を読んでだいぶダメージを受けたので、回復したら感想を書くかもしれません。