さなよくあさまさのブログ

なにやら雑に色々書いてます。

幸福の実現について

あるお昼のこと

遊びに出かけようと準備していたとき、ピンポーンとチャイムの音が鳴った。我が家はほとんど通販を利用しないので両親のコンタクトレンズくらいしか届かない。郵便かなにかしら、と覗き穴を覗いたが、そこには誰もいない。勘違いだったのか、押し間違えか、故障か。あるいは怪奇現象かもしれない。少し怖くなったので一応、インターフォンで「もしもし」と声をかけてみると遠くからピンポーンという音が聞こえる。私の中で怪奇現象説が高まる。都市伝説でこんな話を聞いたことがある。これは確認しなくてはならない。分からないままは怖い。

私は想像力が先行してそのままゴールしてしまう魔術的思考タイプなのでそれを払拭するには明確な証拠が必要なのだ。

ドアを開くと、隣の隣の部屋にチャイムを鳴らす老年の男性がいた。清潔なシャツとピシリと決めた髪、手に持った紙袋。最低でも幽霊ではないが、郵便でもない。怖い。

その男性は私に気付き「こんばんは」といって近づいてきた。「わたしが幸福実現党のもので...」と続けてきたことでようやく人間であることを確信したがそれはそれで面倒なことになったと気づいた。遅すぎる。賢明な読者ならチャイムの音のくだりだけで気づいただろう。私は愚者である。男性は小さなチラシを見せ、日本の政治について中国の影響や経済について不安を煽るようなことをひと通り話した。そして、地獄と仏について話し始める。私は幸福の科学というものについて新興宗教の類としか知らなかったので、シームレスに霊的人生観について話し始めて驚いた。政教分離はどこにいったのかと思ってしまったが顔に出なかっただろうか。

私は人見知りなので「なるほど〜」「そうなんですね」「知りませんでした〜」で大体返事してしまったが、それが好印象だったのか「あなたはいい人となりをしているように見えます」と言われた。なんだかな。いいカモだと思われている、というのは穿ち過ぎだろうか。そこから死後の世界についての講釈が始まり、世界神の話を始め、釈迦の生まれ変わりの話と続いた。死後利益型の宗教なのか〜。日本仏教だからか神の存在に寛容だな〜。解脱したはずの釈迦の生まれ変わりってどういうこと〜?と思ったが「そうなんですね〜」と返してしまった。熱心に聞いていると思われたのか幸福の科学創始者の本を渡された。「え、いや高いじゃないですか、もらえません」というと「いえいえ、読んでみてください」「信じるかは自由ですが、そういう真理があることを知っておくのはいいことです」と言われて渡されてしまった。なんだかな。私は押しに弱いすぎるかもしれない。男性はそうして帰って行った。

私に渡された本は創始者の三千百冊目の著作であるという。ソクラテスソフィストを批判したが、この多弁さはソフィストめいている気がしてしまう。多弁であることと知恵があることは関係ないというが、ああ、死後利益型の宗教への拒否感が強すぎて話を聞くたびに幸福の科学への拒否感が強まっていく。特に拒否感があったのは死後の世界があることを救いとしていることだ。死後の世界で天国に行けるから死んでも終わりではなく、やったことが無くならない、という考えを男性は話していた。だが、たかが死んだだけで存在が抹消されだろうか。たとえ死んでもその存在を覚えている人や名前を知る人、それがないとしても何かを為した足跡は残るのではないか。そんな人間は人と関係を持てず、1人で死にいく人間ではないだろうか。そんなことを考えてしまう。

実存主義に基本的な考え方として、人間は実存が目的に先立つものであるというものがある。乱暴に一言で表すと人間はどんなものにだってなれるのだ、ということだ。私は常々善い人でありたいと思っているが、その善い人は幸福の科学が考える「善い人」とは違うようだ。男性をみると健康で健常で命令を聞く人間がそうであるように見えてしまい怖かった。

結局、ドアの向こうには恐怖があったのだ。

宗教的な思想を持とうが、哲学的な思想を持とうが人間は善い人であろうとするのはいいことであるが宗教組織というのは「善い人」を搾取しようとするのではないかと思ってしまう。イエスユダヤ教批判、ルターの宗教改革はどれも組織の腐敗についての批判であったと解釈できるが、幸福の科学も批判される対象ではないだろうか。儒学の祖、孔子は「怪力乱神を語らず」仏教の開祖ブッダは神について「話す必要がない」としたが、これは彼らが近代的な「宗教」の形というよりも現代でいう「哲学」の形に近いものだったのか。近代のドイツの思想家は初期仏教が好きなのは後世の組織立った宗教よりも理解しやすく、宗教批判に用いることができるからだろうか。

人間の幸福とはなんだろうか。男性が話していたように人生のモチベーションを高く保つために死後の世界に救いを求めることは結局現実世界に目を向けておらず、幸福を希求するばかりでフラストレーションが貯まるのではないのだろうか?

死後の利益を語る宗教が嫌いすぎ〜

宗教的思想は面白いけど宗教組織が嫌いな考えが出てる〜

今日はヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』を読んで自分を見つめ直そうと思う。