さなよくあさまさのブログ

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トラウマと文学

トラウマを題材にした文学作品は数多くあり、戦争文学、災害文学、ポスト植民地文学などではその苛烈な体験に対するトラウマが描かれることは多い。苛烈な体験をどう語るか、トラウマに対しどのように反応したのかを描くかに焦点を置いたあるいは置かれていると思われる作品。日本では戦後、戦争文学やポスト植民地文学が世に氾濫したが、戦中の苛烈な体験をどう消化するのかという動きの現れにも見える。

例えば、大岡昇平『野火』は作者の戦争体験を元に書かれた作品であるがその内容は体験そのままではなく、ファンタジックな脚色がなされている。これらは作者自身のトラウマに対する対処として文学作品であると言えるだろう。

また他にも他人の体験を語る、あるいは架空のトラウマを語る作品もある。

大江健三郎『人間の羊』は戦後GHQ占領下日本における男性への性的虐待を題材に、社会状況として受け入れられず本人たちも語ることができない体験というのを描いている。短編で面白いので是非とも読んでほしい。

あらすじは以下の通り。

 

バスの車内で米兵に四つん這いにされ尻を叩かれるという暴力を受けた主人公「僕」とそれを見ていた男。男は訴えるべきだと言うが「僕」は早くこの屈辱を忘れようとする。しかし、バスを降りてからも男はついてきて異様に訴えるべきであるとしつこく追求してくるのだった。

 

男の執着が異常で怖すぎるのである意味恐怖小説である。「僕」の羞恥や、家族のためにも面倒ごとに関わりたくないがために早々にバスの体験を忘れようとする動きは、心的外傷への反応として解釈しやすい。これは大江健三郎が体験したものではないが、社会状況を反映したフィクションであり架空のトラウマ体験への僕の反応、周囲の反応が鋭い視点で書かれいるのだ。トラウマ体験を語ることに関して村上陽子『出来事の残響ー原爆文学と沖縄文学』インパクト出版 2015 などが面白いと思う。
文学作品においてトラウマというものは題材やそうでなくとも舞台装置として利用されることも多い。最近私がハマっているライトノベル蝸牛くもゴブリンスレイヤー』シリーズにおいてもトラウマ体験は重要な点である。

ようやく本題。『ゴブリンスレイヤー』オススメしようとしてたらなんか作中のトラウマ体験と文学ついて話したくなり、このようになってしまった。

ゴブリンスレイヤーはいいぞ。

あらすじを述べると以下の通り

最弱の怪物、ゴブリン。子供ほどの体躯に幼稚な知能。ただの村人だって殺すことができる。そんな最弱の怪物を専門にする男がいた。人呼んでゴブリンスレイヤー。初めての冒険でゴブリンに殺されかけた女神官はゴブリンスレイヤーに助けられたことで彼と行動を共にするようになる。

現在15巻まで出版されている本作はTRPGをモチーフにした作品であり、作中用語はゲーム用語を借用したり、隠喩したりしたものが多く、例えば作中で人間のことは「プレイヤー」怪物は「ノンプレイヤー」と呼ぶのだが、綴りは「player 」ではなくて「prayer 」「祈る者」であると言ったようにゲーム用語を作中に落とし込んでいる。

ここから『ゴブリンスレイヤー』作中のトラウマ体験について書きたいが、少々ネタバレも含む。できる限り読んだときの楽しみを奪わないように書くが気にする人はここでブラウザバックし、小説でも漫画でもアニメでもいいので物語を摂取してほしい。ゴブスレはいいぞ!

 

 

まず、『ゴブリンスレイヤー』では一巻時点でトラウマを抱える人間は作中3人登場する。ゴブリンスレイヤー、牛飼娘、女神官である。この3人はそれぞれゴブリンに対してトラウマを持っているがそのトラウマ体験はそれぞれ違い、トラウマへ反応も異なるので述べていきたい。
ゴブリンスレイヤー。彼は5歳のときゴブリンの群れに村を焼かれ、身を隠した床下から唯一の肉親である姉が凌辱され殺される様を見る羽目になり、ゴブリンへの復讐心をたぎらせるようになる。

牛飼娘。ゴブリンスレイヤーと同郷でありゴブリンが村を襲った際、街の伯父の牧場に遊びに行っていたため直接被害は受けていないが、なんの前触れもなく故郷を失った。

女神官。初めての冒険でゴブリン退治に行き、不運とゴブリンの悪辣さによって仲間が目の前で死んでいく。

それぞれを比較していく。

ゴブリンスレイヤーと牛飼娘の差は災害の原因であるゴブリンと相対したかどうかで、ゴブリンスレイヤーは復讐の相手を最初から見つけていたためゴブリンを殺すための修行に心血を注いだが、牛飼娘は喪失の原因を発見することができずそのため鬱のような症状が見え、同時に喪失していたはずの幼馴染であるゴブリンスレイヤーへの執着見ることができる。

ゴブリンスレイヤーと女神官の差は、助けがきたかどうか、ゴブリンスレイヤーの村に助けは来ず、そのためゴブリンスレイヤーは他人を頼るハードルが高い。対して女神官はゴブリンスレイヤーに助けられたことでゴブリンスレイヤーの手伝いをするようになるが、それはゴブリンというトラウマの原因を除いてくれるゴブリンスレイヤーへの執着と見ることもできる。また、ゴブリンスレイヤーに対して「仕方のない人」と言ったりゴブリンスレイヤーのトラウマに対して理解を示しており、同じトラウマを持った同士への共感も見えるだろう。

ゴブリンスレイヤー』はライトノベル作品として非常に面白く、作中を通して登場人物の成長や感情の変化を見ることができるが、特にゴブリンスレイヤーは一巻の最後で他の冒険者を頼り、街を襲った大規模なゴブリンの群れを倒すことに成功することで、ゴブリンスレイヤーは初めてトラウマ体験から一歩踏み出すことができるのだ。

また、ゴブリンスレイヤーの特徴として口数が少なく、自身の体験を語ろうとしない点を挙げることができるが、これはトラウマを受けた人間がその体験を語ろうとしないということと一致する。

ゴブリンスレイヤー』はダークファンタジーであり、突飛な戦略でゴブリンを倒す物語として楽しむこともできるが、トラウマから立ち上がり前を向く人々の物語として読んでも面白い。また、TRPGの用語や世界観を小説に落とし込んだ点なども読んでいて面白いだろう。

様々な観点から読むことができる面白い作品なので『ゴブリンスレイヤー』オススメです。