さなよくあさまさのブログ

なにやら雑に色々書いてます。

汝、読書家なりや?

本を読み返したくなるときがある。

それは雨が降り偏頭痛が酷いとき

調べ物が進まず行き詰まったとき

気になるお店に行ったら定休日だったとき

乗るはずのバスが目の前を過ぎ去ったとき

ぷよぷよで凡ミスからの醜態を演じたとき

そのときどきで読み返したい本は違うが、今日は安達正勝『死刑執行人サンソン 国王ルイ十六世の首を刎ねた男』を読み返したくなった。史上2番目に死刑執行を行った男シャルル・アンリ・サンソンの伝記であり、読みやすい名著であるとオススメできる一冊だ。あらすじ、といっても伝記である以上サンソンの人生、特にフランス革命前後を語ったものであるとしか言えない。あえて書くならばこうか。

死刑執行人であり被差別民であったサンソンは18世紀新たな思想である人文主義を喜んでいたが、その人文主義によって始まった熱狂的な革命によって何百人もの人の死刑を執行することとなり、ついには忠誠を誓った国王をも手にかけることになる...

私のフランス革命に対する知識は高校世界史とこの本、あとはゲームで触れたくらいなので私のフランス革命の知識の6割はこの本である。何度も読み返したが、情報だけでなく読み物として面白いので新書というジャンルの本懐を果たしていると思う。

序章第一節「初めに愛があった」の題名は著者の文才が現れている。サンソン家がなぜ死刑執行人の家系となったのかを書いているが、詩的な題名だ。常々思うが歴史と文学の研究者が書く文章は美しいものが多い。人間はよく読んでいる文章に影響されると聞いたことがあるからそのおかげなのだろうか。

私も良い文章がかけても良さそうだが、私は雑食でジャンル関係なく読むので混ざり合ってよく分からない文章になっている気がしないでもない。ネット小説から古典小説、経典も読んでみたりする。最近よく読んでいるのはハーメルンで読めるWhatSoon「TSおねショタ雷十太」である。漫画作品和月伸宏るろうに剣心」の二次創作だが、戦闘場面の描写や心情描写、原作的表現が上手く文章で書かれていてとても面白い。先に言っておくが、TSの意味は考えるよりも先に感じた方がいい。

よく人と話していると読書家に思われてしまうことがある。だが、私は別段読者家ではない。私は今年の芥川賞直木賞の結果を知らず、文豪も詳しくない。さらに言えば本屋に足蹴なく通うという訳でもない。月に2、3回程度である。そんな私が読書家に思われるのは本の話題を出すからだろう。面白かった本は人に薦めたいし、相手が読んでいたら感想を交換したい。私はけっこうお喋りも好きなのだ。このブログに書いている内容もこれらが表れてしまっている。

私は読書家ではないが、まあ、人並みに読書が好きで毎日何かしら読んでいる。冒頭で述べたように読み返したいときがあるからだ。毎日新しい本を読んでいるわけでもないので読書家というのは憚られる。私の後輩の1人にアニメ好きでよく観ている者がいるだが「アニメ好きとしてアニメはリアタイは観たい」とよく溢していた。これらを見るに世間一般のイメージとして〇〇好きというのは新しい情報を取り入れつづける者というイメージがあるのかもしれない。

であれば私は読書家でなくていい。新しい情報を入れるタイミングは、新しく出てきた時、ではなく私の準備が出来たときがいい。うろ覚えだが仏教やキリスト教なんかでも救いは与えられるだけでなく受け取る側の準備も重要とされているから、たぶん知識も同じことが言えるだろう。

どのように情報を受け取るのかは人それぞれであるが最低でも私はずっと新しく情報を受け取り続けることはできないので、読み返したり、立ち止まって考えたりしてゆっくり咀嚼していきたいと思う。それには一番向いているのが読書であることは間違いない。

明日は何を読もうか