さなよくあさまさのブログ

なにやら雑に色々書いてます。

ぷよぷよで負けた日

私が愛読している本は幾つかあって、年に何度も何度も読み返しているのだけれどその中でも『草枕』は妙に読みたくなる日があったりする。冒頭の「山路を登りながらこう考えた。」から始まる名文は作品を知らずともどこかで聞いたことがあると思う。そうだといいな。

この冒頭で主人公の画工は現実を芸術として昇華するためには「非人情」で物事を見なくてはならないとしている。つまり事物に共感せず自然の風景を見た時のようにただただ見るということである。しかし、重要なのは画工はその境地に達することができず「非人情」でいようとしていても「人情」で見てしまうのである。これをどうにかするために物語の舞台の自然豊かで親しい人もいない田舎の町、那古井にまで旅行に来たのだ。

面白いのは『草枕』の第一章で主人公は理想をまず語り、それに近づくための方法として旅をしていることを読者が理解したところで、画工が転んでしまい「非人情がちと強過ぎたようだ」という文で締め括られるのだ。理想ばかりにかまけていて足元が疎かになっていたというオチが私は最高に好きだ。『草枕』はこうした滑稽な話の転倒が多く、画工の一人称で語られるが故にすんなりと笑って読める。

この『草枕』の冒頭はぷよぷよで負けたときにふと思い起こされるのだ。ぷよぷよは、大連鎖で勝ったら気持ちがいい。10連鎖で勝てばガッツポーズ。11連鎖で勝てば小躍りし、12連鎖で勝てば奇声を上げる。しかし、大連鎖を打つには待つことが重要だ。先手で発火してしまうと相手に時間を与えることになりこちら以上の大連鎖を作られてしまう。そのために大連鎖の土台を作りながら上半分で2、3連鎖でハラスメント攻撃をして相手が本筋を発火してしまうのを待つのだ。

今日の私は本当に酷いミスをした。

相手の3連鎖に驚き10連鎖を打った。相手はきっちり11連鎖で返してきた。

私が連鎖を組むことに夢中になっているとき、相手は2連鎖を打った。私の画面はX印以外すべて埋まった。

私が11連鎖を組んだとき、相手は15連鎖を組んでいた。

ここで私にふと「ちと非人情が強過ぎたようだ。」という言葉が浮かんだ。いつのまにかレートは100近く下がっていた。プロディビジョンからアマチュアになっていた。理想は大連鎖で勝つことだが、それにばかり固執し負け続けている滑稽な人間がそこにはいた。

そこでようやくコントローラを置き、パソコンを閉じて、本を開いた。無作為に取った本は『草枕』私の机に平積みにされた本の一冊だった。冒頭のオチ...理想ばかりで足元が疎かになっているのは私だったのかもしれない。リプレイを見直して勉強をして練習すべきだ。目標を立てるといいだろう。

あるいは私は旅に出て草を枕とするべきかもしれない。週に2、3度触るだけのゲームに心動かされすぎるのでは?

外はすっかり暗くなっている。夜道は怖い。我が家の近所にはさっぱり電灯がなく、人家の漏れ出る灯りが点々と道を照らすのみである。

そこでパソコンを開き、つい先日開いたブログにこれを書き連ねた。漱石も自身のことを手紙やら小説やら俳句やらに書いたらしいからそれを見習おうと思った。

なにやら書いていたら何を話したいのかとっ散らかってきた。一旦筆を置いて....キーボードから手を離して?しまおう。ブログに詳しくないから終わりがこれで良いか分からないが、雑記を読んでくれた方ありがとうございます。

 

そういえば昨日100分de名著を観ることができた。やっぱリアタイで観るのは違うぜ!