ブログに何を書けばいいのか分からないという私に、友人は何を書いてもいいと言った。9月17日のことである。深夜で日付が変わったのか分からなかったから18日のことだったかもしれない。
私がブログを始めるにあたってまず考えたには続けられるだろうかということだった。友人は続けなくてもいいと言った。
確かにこれを辞めたところで何が起こるというわけでもないからそうだろう。しかし、習慣づけなければすぐに飽きてしまい、このブログの存在すら忘れてしまうかもしれない。
高校生の時分であったか。私は文豪の書簡集だとか日記だとかを読んでいた時期があった。小説を書く人間は手紙も日記も面白いことが多いのだと何かの本で読んで興味を覚えたからだ。実際、恋とか金とか自身の小説の感想を求めたりとか人間味に溢れたものもあり面白く読んでいた。
そこで私は自分も日記を書いてみようと思い立った。小説を書くのは難しい。しかし日記ならばその日あったことを書いていればものになる。スーパーで買ったノートにデカデカと「開けるべからず 日記」と書きいれその日あったことを書いた。確か学校で買った弁当が美味かったとか書いていたと思う。
私は意気揚々と本棚の隅にノートを差し込んだ。ふとそこに並んでいる何冊かのノートが目に入った。本棚の隅というと無精者の私が全く手をつけない領域であり、たまにテキトーに埃を払うくらいしか触らないので全く意識していなかったが本棚には4冊のノートが並んでいたのだ。恐る恐るそのノートたちを手に取り机に並べる。
「日記」
「徒然なるままに」
「diary」
「アンセ」
それはすべて日記帳だった。最後のは「パンセ」をもじったものである。くそしょうもない。どれも2ページだけ丁寧に綺麗な字で日記が書かれており「日記を始めた」「ご飯美味しい」「近所の桜が咲いた」「最大幸福と家族制度」とそれぞれ書き出されていた。一番古いものは中学生の頃。私はすっかり忘れていたが定期的に日記を書いては三日坊主でやめてしまい、ノートを無駄に溜め込んでいたのである。
三日というのは私にとって飽きる忘れるか否かの瀬戸際であり、これを乗り越えるのは難しいのだ。というかよくこんなに忘れて同じことが出来るものだ。
このブログを始めて三日間毎日なにかしら書いていたのはまあ、これも一因である。Twitterではなく、Xよりも書きやすかったとか何か書くことが楽しいというのもあるが。
ブログをはじめること友人には感謝したい。
ありがとうございます。
まだブログというものを勉強中だがこれからも何か雑記を書くと思う。