さなよくあさまさのブログ

なにやら雑に色々書いてます。

風呂場で考えること

修験者は滝行をし、聖者は水で洗礼を受け、精霊は泉を棲家にする。水というのは生存に必須であると同時に神聖さ、神秘性、清らかさの象徴。すなわち、日常の中で最も多くの水を見ることになる風呂場は生活の中で最も神聖な場となりうるのではなかろうか。

我が家には浴槽がない。シャワーがあるのみである。それで風呂場と呼べるのかと言われれば「風呂」とは体を清める場を指すのだから風呂場だといえるだろう。それにかれこれ10数年、風呂場と言ってきたから今更「シャワー室」なんて言いづらい。そもそも日本の風呂文化は非常に特異な進化をした文化であり、熱々に湯を溜めて直接浸かるのは日本だけである。バスタブはどうしたというかもしれないが、あれはぬるま湯程度の温度で地域によっては水である。温泉もサウナの湯気のために使ったり、水を多く入れて温度を非常に下げるという。では日本の風呂がなぜ非常に高温なのかといえば、サウナから始まり半身浴と合体し公衆浴場が出来たことでそれが広まったせいだという。

昔、本で読んだだけの知識であやふやなものなのでうろ覚えだが、詳しくは吉田集而『風呂とエクスタシー 入浴と人類学』平凡社1995年 を読んでほしい。

あまりに衒学的な内容になったが、ひとまず言えるのは風呂場は様々な文化を生み出すと同時に悟りをもたらし、神の啓示を受け、神秘性を感じれる場所であること。これらを現代的に解釈するならばインスピレーションを得られる場所、アイデアを得られる場所であるということができる。

私は風呂場でシャワーを浴びているとふとこんな文言が浮かんだ。

「仲が良かったふたりは同窓会で再会したあと、気まずい会話をして帰った」

非常に解釈の余地がある。まずこの文言では2人は友人どうしか恋人かも分からない。同窓会で再会したとなれば今まで会っていなかったことになるが喧嘩別れか自然と疎遠になったのか。気まずい会話とは何か。

これらを考える情報はこの一文には存在しないので解釈というよりも妄想が正しいだろう。だが私はこの文言から様々な妄想ができる事実に驚いた。悲恋のようでもあるが友情エンドも狙える。ここでトップはバームクーヘンエンド!バームクーヘンエンド早い!しかしここで上がってきたのが、両片思い!両片思いだ!先頭に食いついている!そしてゴールしたのは!両片思いだぁああ!

と私の脳内妄想は熾烈なレースがなされた。ちなみに私は百合が好きなので、女性どうしの恋愛を想定している。

同窓会で再会した彼女の薬指には指輪。「結婚するの」と笑う彼女。「おめでとう」あたしはうまく笑えているかな。「私たち仲が良かったものね」と話す彼女。耐えきれずに席を立った。

初恋の人を見つけた瞬間、胸が高鳴る。諦めたはずなのに、あの子はわたしを友達って思ってるのに。思いを断ち切るための指輪がひどく冷たく刺されるように感じた。せめて祝福してもらえるように目一杯幸せそうに「結婚するの」「おめでとう」そう言うあなたはどうして泣きそうな顔をしているの...?

まで妄想した。やはり風呂場は神聖だ。不可侵だ。すなわち思考は自由だ!言葉の定義も自由だ!創作が爆発なら妄想は炎だ!一度生まれた物は燃え続ける!燃料を投下しろ!

読者もなにかしらの一文から妄想想像空想をふらくらませると中々楽しいのでおすすめする。

あの一文はシュチュエーション以外なにも指定していないのでいくらでもキャラクター、背景を想像できて楽しい。

こんなのはどうだろうか。引っ越しをキッカケに別れた男女...再会してすっかり変わった相手をみて初めて自分の初恋を自覚する...

また長くなるので書くのは辞めておく。突然、思考を垂れ流して申し訳ない。