さなよくあさまさのブログ

なにやら雑に色々書いてます。

寒空の下

いつのまにか寒くなってきた。気象庁は秋だと言っているがこの寒さは全くの冬である。寒空は冬を指す言葉らしいので冬ったら冬なのだ。この語感がいい言葉を使いたいからだけでなく寒いから冬なのだ。

この季節になると私は寒暖差のせいかそのほかの理由があるのか、酷く鼻水が出てくる。毎朝ティッシュ箱をゴミ箱に入れ鼻炎薬を飲んでどうにか生きているが、ずっと鼻がムズムズとして鼻が乾かないゴールデンレトリバー状態である。犬ならいいが人間では汚すぎる。鼻をかんでばかりいると鼻周りの肌がボロボロになり非常に痛む。ティッシュで擦れるのだ。この季節の愚痴を言うと鼻の話をあと5000字ほど書けてしまうが、私はそんなもの読みたくないのでこの辺で鼻の話をやめたい。

ところで私は「鼻」と言う言葉をみると芥川龍之介が連想される。短編小説「鼻」のせいだ。鼻が物理的に長く垂れているせいで馬鹿にされているお坊さんが鼻を治そうとするが治ったら治ったらでさらに笑われるようになってしまう。みたいな話だった気がする。

冬になるとなんとなく思い出されてしまう。私の鼻が不調になるだけでなく、初めて『鼻』を読んだのが冬だったせいだろう。人間の愚かさとが書かれていて、なんとも寒々しい気分になるが鼻の描写がコミカルというか滑稽でとても面白い。食事をする時に鼻が垂れているので口を塞いでしまうので小性に鼻を支えてもらうという場面が大好きだ。

芥川龍之介にしろ夏目漱石にしろ作品に溢れ出る滑稽さが作品を読みやすくしていると思う。これは主題の重さと内容の軽さというので読者の受け取る量を調整しているのかしらん。私は評論家でも文学者ではないのでこういうことを言うのはよくない気がする。きちんと学び考える専門家は大量の情報を元に結論を導くが、私の穴だらけの知識では推論にすらならない妄想を垂れ流すだけである。「多弁は銀、沈黙は金」という金言があるが、これは知識ある人はいくらでも話すが、知恵ある人は話す内容を吟味するという解釈もできる。本来の解釈は「黙れバカ」という感じかもしれないが。

寒い状態だと思考もネガティブになりやすいと聞いたことがる。今日はこれ以上書いていると自己嫌悪とか1人反省会をしてしまいそうなので今日はクッキー食べて眠ることにする。

おやすみなさい