さなよくあさまさのブログ

なにやら雑に色々書いてます。

生活圏の認識について

わたしの認識できる空間というものは半ば視界に入れることができる空間であると言える。なにを言っているのかと思われるかもしれない。人間が視界の外の物に対して認識が疎かになるのは多くの場合言えることだしちょっと意味は違うが「百聞は一見にしかず」である。

例えば、こんなことがあった。

わたしは今日、味噌汁でも作ろうと冷蔵庫の野菜室を開いた。1番上には鰹出汁の袋が覆うように鎮座していてその横からタマネギはチラチラと見える。そのまま野菜室を閉めて冷蔵室を開く。すると、卵やら水やらが並ぶのが見え、ふと収納スペースに炭酸水が転がっているのが見えた。中身はコップ一杯ほどか?。いつ買ったのか考えてみると1ヶ月は前である。慎重に炭酸水を手に取りキャップを開けてみるとなんの抵抗もなく開く。炭酸は抜け切っていた。当たり前だ。飲まないのは勿体無いのでひとまずテーブルに置くと、炭酸水のペットボトルがあった場所の後ろにラップが巻かれたタマネギの4分の1があった。一体いつからあるのか。手に取ってみると少し萎びていて真ん中が緑がかっている。今にものびようとして力尽きたのかのようだ。

このように冷蔵庫の奥にはわたしが認識していなかったものたちが多く存在した。視界の外、ペットボトルをどかしたりしなくては見れない場所には深淵が存在するのだ。残念。早急な改革が必要である。可及的速やかに改善するべきだ。



まあ、うん

 

 

冷蔵庫から発見した食品は美味しくいただきました。タマネギは味噌汁に入れて、元炭酸水はいまウィスキーの水割りに。

書きながら飲んでいます。

なかなかです。